礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2023.4.9 <イースター礼拝> 主イエスの許に帰ろう⑲最終回「共に働かれる復活の主」友納靖史牧師【マルコによる福音書 16章1~8、19~20節】(新共同訳 新約P.97,98)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 第二礼拝「主われを愛す」エンジェリックリンガーズ
招詞 マルコによる福音書 15章42~47節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生240番「救いの主は」1~3節
献金感謝 司式者
聖書 マルコによる福音書 16章1~8、19~20節
特別賛美 第一礼拝「愛する友のために」グレースアンサンブル
「主イエスは尊き」聖歌隊
第二礼拝「主イエスは尊き」聖歌隊
宣教 主イエスの許に帰ろう⑲最終回「共に働かれる復活の主」友納靖史牧師
祈祷
賛美 「見よ暗き夜は明け」
頌栄 新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 十字架の死後、葬られたイエスの身体に香油を塗るため、夜が明けるやいなや三名の女性たちは墓へと駆けつけます。女性たちの力では到底動かせない重い墓石を、誰に動かしてもらって入ろうかと不安を覚えつつ前に立つと、何と石は既にわきへ転がしてありました。更に驚愕したのは白く長い衣を着た若者(天使<マタイ/ヨハネ福音書>)が座っていて、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」と語りかけたことです。この時、この女性たちの思い描くイエスとは、“十字架につけられ、死んだままのイエス”であり、かつナザレで生まれ、ゴルゴダの丘で死に絶えた一人の人間イエスの姿でした。その女性たちに、この人(天使)は更に「あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる」と告げ、復活の主イエスと改めて出会うことを勧めたのです。なぜなら主イエスは何度も十字架の死と復活を予告しておられましたが(マル8:31,9:31,10:34)、彼らは主の言葉が全く心に残っておらず、人間の理解を超える教えは信じられなかったからです。この福音書を書き記したマルコは、この驚くべき復活の出来事を事実として信じるよう証言し、更に大事なメッセージを書き残しました。
第一に、主イエスを慕う女性たちは、彼女たちだけでは動かしようのない大きな墓石、つまり障害があることを知りつつも、まず行動を起こしたのです。主が葬られた時刻は既に安息日が始まっており、遺体に香油を塗ることが出来ないまま葬らざるを得なかったので、彼らは後悔と痛みを覚えていました。そこで日曜の朝、居ても立っても居られず、夜が明けると共に、いの一番でイエスのもとへ駆け付けます。するとその墓石は既に動かされていました。マルコはここで、人の思いを越え、神が先立って備えてくださることを告げます。人生において私たちも、多くの不安や心配をよそに、主が先立って道を備え、扉を開いて下さる恵みがあることを信じ感謝し、恐れずに行動できるよう、祈りましょう。
第二にこの時、この女性たちが信じていたイエスとは、「十字架で死んだ人間」と、そこで終わっていました。ところが、人の理解を超えた神の力が示され、死に勝利された救い主イエスと出会って新しい信仰に彼女らが目覚めるように勧めたのです。更に、ナザレの町(純粋なユダヤ人だけが住む町)に留まる教えではなく、ガリラヤという異邦人(外国人や混血)、多民族が共生する町、多くの病いと痛みを抱える人々が集まっていた場所へと、“復活の主は、直ちに神に託された使命を担い続けるため出向かれた”と告げたのです。ルカがエマオ途上で復活の主イエスが「なおも先へ行こうとされる様子だった(ルカ24:28)」と証言した姿と重なります。私たち(主の弟子とされた者)も、苦難が襲い、倒れて墓の中に留まるかのような時を過ごすかもしれません。しかし、その苦しみと痛みを乗り越えて復活(回復)させて頂く時、その経験を活かし、主にある働きと使命を共に担うために出向いていく信仰を、この復活の主の姿にならって参りましょう。
なぜなら、マルコはこの福音書の最後に力強くこう証しするからです。「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。(なぜなら)主は彼らと共に働き<ギ語:スネルゲオー(ローマ8:28)>、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった(16:20)」からです。“復活の主が私たちと共に働かれる”、だから弟子達そして私たちも恐れず次なる一歩を踏み出す恵みと力が注がれるのです。新年度の常盤台教会の標語「今こそ、主から照らされた光を輝かせよう」に、 アーメンです。